このNewsページは現在病気療養中の父小川富二を心配してくださる多くの皆さまへの回答として、私長女(山本玲子)が新しい状況をお知らせしています。
<2026 年2月4日、更新>
早いもので、2月。今年は寒い日が多いですね。 暦の上では立春とはいえ、大雪で大変な思いをされている方もいらっしゃるわけで、雪は幸ではなく(先月余計な事を書いてしまい、すみません)、災害を受けている方もいらっしゃる事を改めて痛感し、被害を被っていらっしゃる方にお見舞い申し上げます。 父の様子は特に変わったことはございませんが、時々興奮気味に震えて、顔を紅潮させ左手を高く上げることがあります。
東京は、ここの所昼間は晴れの日が多く、外は寒くても温かく感じることが多いです。ただし、空気が乾燥し、父の部屋の加湿器が不具合を起こし、先日交換いたしました。ストーブ・こたつからエアコンへ。そして加湿器と時には空気洗浄機。昔はそれほど気を使いませんでしたよね。父の場合は乾燥肌、喉も乾くと思うので、湿度計をチェックし、空調には気を付けております。施設の方も気を配り、親切に対応してくださいます。
もう一つ、電子フォトグレームを父のホームの個室に入れました。母の時はアレクサだったのですが会話は難しく、海外からの場合、時差もあるので写真を見るだけでも、その方が良いのでは?との決断です。正解でしたが、最近は見せながら寝てしまう事も多く、どちらかと言うと今の写真よりも昔(父の往年時代・倒れる直前位)の方が良いのかな?といろいろ、試行錯誤しております。
なんといっても、主役は、アメリカテキサスのヘクターダイゴ君(生後4か月)と、千葉県船橋市の七海ちゃん(5歳)と美波ちゃん(生後9か月)! 昨年生まれたひ孫たちにも会えるようになりました。でも不思議なことに、2年前に亡くなった母の写真が一番反応するように思います。よくケンカもしてましたが、プラチナ婚まで添い遂げた仲の良いカップルだったのです。<2026年2月4日、更新>
<2026年1月5日更新>
皆様、あけましておめでとうございます。12月父が無事に施設に戻ることが出来て、割と落ち着いた状態で新しい年を迎えることが出来ました。
年末に、長女と高校1年の孫と父の所へ行きました。最近は寝てしまっていることが多いのですが、この時はしっかり目を開き、「オー」と喜んでおりました。多分元気な時は「しっかり勉強しろよ。」というのでしょうが。「わかる?ヒロ君よ」と言うと、「うん」とうなずいて、嬉しそうな笑顔で答えてくれました。
そして、一昨日、1月3日(土)も会いに行き、父に年賀状をくださった同級生の方に、電話をかけて、語りかけてもらいました。「オー!」とかとても反応が良く、すべてわからなくても、他の友達の状況など聞いてうなずいておりました。「脳梗塞は聴こえているのですよ。」とかつて医師から言われたことを思い出し、「お父さん、あけましておめでとう。お正月、無事にむかえられてよかったね。」と言うと、とてもにこにこうれしそうでした。穏やかな寝顔とたまに見せてくれる笑顔、要介護5とはいえ、父が生きていてくれることで、元気付けられることがあります。苦しくないなら、もう少しだけ頑張ってね。と、伝えてきました。 少し経つと、妹の旦那様が来て、海外在住の孫たちの、挨拶動画を見せてくれて、それにもいい感じで反応してくれた父に感謝です。お正月を無事迎えられことを大変幸せに思います。お部屋の中はとても暖かいのですが、外は寒く、駅からの道や窓から見える外の景色は昨日の雪が残っており白く雪化粧! 少し不思議な気持ちになりました。雪=幸? この寒い時期を乗り越えて幸せな年になりますように! <2026年1月5日、更新>
<2025年12月5日、更新>
前回11月の更新の後、11月15日(土)、父は誤嚥性肺炎を起こし、再度葛飾市内の大きい病院へ救急搬送されました。 胃ろうでも体力の衰えとともに、発症する頻度も多くなる感じです。 入院当日は、施設からの電話の時、すぐに妹も私も対応できずに、妹の旦那様と施設の皆様、そして救急隊の皆様にお願いいたしました。SPO2(酸素量)が70くらいまで下がり、酸素吸入、2~3回嘔吐の後でしたので、かなり衰弱し危険な状態だったと思います。
施設で、処置をしていただいて、ECU(緊急治療室)へ入院、病院へ駆けつけ、その夜の吸引の苦しそうな事、よく耐えてがんばってくれている!!と感謝しましたが、こんな苦しみがずっと続くのであれば、ホント楽させてあげたいという気持ちも、正直自然とわきあがってきました。
それでも、どんな苦しみとも闘い必死に生きようとする父、若い時の頑張りもそれはそれですごかったですが、94歳にして、この苦しみと闘い続ける父、本当に頭が下がり、勇気をもらいました。つらいけれど、しっかり焼き付けておかなければならない光景だったかもしれません。
戦後80年、昭和100年の今年ももうすぐ終わります。その頑張りの源は父だけでなく、この時代を立派に生き抜いた人の強さでしょうか? それを忘れてはいけないと思いました。 12月に入り、父の退院が決定、再び、特別養護老人ホームの皆様にむかえていただくことが出来ました。昨日(12/4)父の元へ行きましたが、施設は自宅に戻った感じで安心し、よく寝ていました。病院より落ち着くのだと思います。これから寒さもやってくる季節となり、病気の高齢者です。 急に何が起こるかわかりませんが、今の所わりと落ち着いた状態に戻っていることを皆様にお伝えできて、少しほっとしております。 <2025年12月5日、更新>
<2025年11月9日、更新>
いよいよ、今年も11月、葛飾区の老健から特養(特別養護老人ホーム)に移ってから、すでに半年以上過ぎました。ユニット型の個室で、広さもちょうどよく、建物も新しく快適で皆さん親切。父は、本当にラッキーと思います。
10月の終わりごろ、この施設の中でイベントがあり、ちょっと覗かせてもらいましたが、昭和歌謡を楽しく歌う芸人の方も出演、地域の皆様やお子様たちなど、老人施設を知ってもらうためのイベントで、大勢の参加者の表情は皆明るく、特に施設の高齢者の皆様たち(特におばあちゃま)が多くて、とても楽しい感じでした。 老人施設は決して閉鎖された空間ではないこと、これからの時代、よりよい高齢社会をどう実現していくのかは本当に私たち自身の問題であると、考えさせられました。
さて、父は、容態はまずまず落ち着いています。私と妹が、週2回位、あまり間を開けずに面会できるので、時々待っているのか? 昔の何らかの記憶がよみがえるのか、「おーい、いぉーい、ウオー」などよく聞き取れないけれど、発声練習みたいに大きな声を出すことがあります。先日、介護士さんから、「エーコ、えーこ」と呼んでるみたいな?どなたかいらっしゃいますか?と言われ、私レイコです。と言ったら、それではお嬢さんを呼んでいたのですね。と。 その数日前、妹が行った時は、「エツコさん」だったとか?母の名前がテツコだったからかな?と。
身体が多少元気になり、脳の状態が時々何かの形でよみがえるのでしょうか? 一時は、まさかこんなにいい状態に戻れるなんて、期待できなかったこともあり、むしろうれしいことでもあります。(うるさくご迷惑なこともあるかもしれませんが?)私は、もしかすると、父が英語の、「I‘m here!」と言っているのでは?と思います。
まだ、「自分は大丈夫!」いろいろやりたいこと、言いたいこともあるのでしょうが、なかなか伝えられない。「でも、生きているのだ! ここにいるのだ。」なんかそんな、メッセージを伝えているような感じがするのです。要介護5,特別障碍者、かつてはバイリンガルだった父の今は、きちんとした会話はできません。でもお世話してくださる方の問いかけには、イエス・ノーのコミュニケーションはでき、私たちが見せる写真や、DVDにも反応し、本の自分の名前や写真を指さしたり、脳のどこかの部分がきちんと生き返ってきているのではないかと思うのです。
元気な時はなんでも自分でできた父、85歳位まで車も運転し、パソコンを使いこなし、認知症の母の事を看ていてくれていた父。ですから、今の状態は本人は苦しいのかもしれませんが、でも頑張ってくれている。そして、何かのメッセージを発している。その現実をしっかり受け止めたいと思います。 <2025年11月9日、更新>
<2025年10月8日、更新>
やっと涼しくなったと思っていたら、すでに10月。来年の年賀状やら、お正月のおせちや「お歳暮どうしますか?」のチラシが入るころとなりました。今年もあっという間に過ぎてしまいそうです。この9月・10月、父は割と落ち着いて日々過ごしてくれております。写真を見せれば、じっと見て反応するし、「わかる?」と聞けば、「ウン!Yeah!」とうなづき、こちらの施設に移って半年、できるだけ、3日に1回、週2回位のペースで通い、声掛けに行くのが、大事な仕事の一つとなりました。(妹と簡単なシフトを決めて)、ですから脳が活性化していることは確かと思います。
相変わらず、誰も来てくれず単純に人恋しい時とか、又何か体のどこかが不調・不快感があるのか動けない、ただ単純にどこかかゆいとかちょっと軽い痛みを感じるみたいな時とかに、「おーい、おーい」が出るみたいなのです。
気になるのはその程度で、あの状況からよく頑張ってくれていて、先日10月4日(日本時間5日)に、また一つ、うれしいニュースが届きました。アメリカ在住の父の孫の子(初めてのダブル、日米のあいの子、男児)が元気いっぱいに生まれ、昨日、妹と写真を見せに面会に行きました。
父が倒れてから3年半、母と叔母二人が先に天国に逝き、ひ孫が2名誕生し、時代は動いております。父は、しっかり見届け、責任を果たしてくれております。 昨年亡くなった母が生きていたら、今年の10月10日で、結婚72周年を迎えることが出来たのですが、一昨年、母が亡くなる前に70年のプラチナ婚をむかえることが出来た事も大きな出来事となりました。家庭人としても本当に偉大な父だったと思います。 <2025年10月8日、更新>
<2025年9月10日、更新>
早いもので9月。あまりの暑さでまだまだ9月(そろそろ初秋の候?)になってしまった感じがしません。 今年は10月位までは夏みたいな予定ですが、本当でしょうか? 父の施設に通う道も、かんかん照りの日は駅からの約7分が、熱帯の国でアスファルトの道を歩いている感じです。父は涼しいお部屋で寝ていることが多いのですが、孫・ひ孫たちの元気な様子のビデオを見せたり、好きな音楽を流したりしながら簡単なおしゃべりをすると、うなずいたり反応したりしてくれたりします。部屋にいる時間は涼しくて快適なので、面会しながら秘暑地にいる感じで、貴重な時間を楽しんおります。
きちんと言葉が発せられるわけではありませんが、顔色はよく、目もしっかりしていて、私たちが帰ってしまい誰もいない部屋でしっかり目が覚めてしまった時は、「おーい、おーい」と相手してくれる人を呼ぶみたいです。 特に何をお願いするわけではないのですが、声が出るというのは悪いことではないので、施設の皆様はご理解のうえ、優しく接してくださっている感じでうれしく思い、ホットしております。看護してくださる方は、中国やインド、東南アジア系の出身の方もいらっしゃるので、「英語の方が反応いいですね。」とか、「お父様の本知ってます。」とか言ってくださる方がいると、「著書の力はスゴイ!」と思いますし、父の場合、もしかしたら左手はしっかり動くことからも、外国語脳の方がしっかりしているのかしら?と思う事もあります。 <2025年9月10日、更新>
<8月15日、特別NEWS>
2025年8月13日、父は無事に94歳のお誕生日を迎えることが出来ました。 ホントに、本当に、うれしい・おめでたいことでした。 倒れてから、3年以上、奇跡的にカテーテル手術で一命を取り留め、約3年間、何度か病院へ救急搬送で運ばれ、その都度頑張って危機を乗りこえ、このおめでたい日を迎えることが出来たのです。
2022年から、お誕生日迎えるのも初めてではないのですが、コロナの影響や本人の体調が厳しかったり、また、その時の病院・施設のルールなどの為、家族でも会う事さえできない寂しい誕生日を毎年過ごしておりました。
今年は、面会可能の施設で、特にひどい感染症の事例もなく、又施設の特別配慮で、父のために、小会議室を準備していただくことが出来ました。今まで、生きていてくれさえすればありがたいと思いながらも、なんとなく寂しい8月13日でしたが、今回は特別でした。こんなに幸せな時間・空間を共有できる日が来ることは夢のような出来事で、期待することさえできないことでしたので、本当に感謝と感動の瞬間でした。
父は、重度の脳梗塞のため要介護5,話すことも、体を自由に動かすこともできませんが、子供・孫たちの集まりで、自分のお祝いを皆でしてくれたことが分かったのだと思います。皆が順番に挨拶と祝福をし、4歳のひ孫が、「おめでとうございます。」と花束を手向けると、ぽろぽろ涙を流して、喜んでおりました。心から、「生きていてよかった。」と思ってくれたことと思います。
孫の山本隆文が、父の代わりにFacebookを更新してくれたこともあり、本当に多くの皆様・教え子の方々・海外からも「おめでとう」メッセージを頂戴いたしました。皆さまのお名前を伝えると、父はうなずき嬉しそうにしておりました。多少、脳の状態が以前よりはっきりしてきたような感じで、表情もしっかり明るい感じです。多くの皆様のおかげで父は生かされているのです。そのありがたいメッセージや誕生日以外にも「いいね!」をくださり、応援してくださっている皆さまへのお礼と当日の父の様子を皆様にお伝えいたしたく、このタイミングで、NEWSを更新させていただくことにいたしました。本当にありがとうございました。 <8月15日、特別NEWS>
<2025年8月5日更新>
今年も真夏、猛暑日が続き、日本は熱帯地方にいるような気候で連日37度とか、40度を記録とか?あまりうれしくない、めちゃくちゃ暑い毎日が続いております。 父は、この猛暑の現在、よく冷房の効いた特別養護老人ホームの個室で落ち着いて、静かな日々過ごしておりまます。 よかったと思うのは、自宅にいたら父はすぐ冷房を消してしまうので、特にこのような日が続いている今年の夏、今の方が絶対安全かな?と。 先日7月のかんかん照りの暑い日に、私は駅から7分くらい歩いて、ホームに到着、面会に行きましたら、ちょうど、施設で夏祭りのイベントとかで、父の分のかき氷をごちそうになりました。暑く火照ったからだをやさしく冷やしてくれました。ホントにありがたかったです。特別おいしかった感じがいたしました。真夏はやはりかき氷ですね。
最近は、父の面会時、昔の写真とかを見せるようにしております。どこまで理解できるかはわかりませんが、多少でも、脳の刺激になるようで、目はしっかり見開いて一生懸命見ようとするのです。少しずつ何かを思い出すかもしれませんし、生きている喜びを感じてくれれば、何らかの力になり、元気の源になるのではと思っております。
今年は昭和100年、戦後80年。父は昭和一桁生まれ、もうすぐ94歳です。 実の母親は100歳超えていたので、まだまだもう少し頑張ってほしいです。 心配してくださる、父のお知り合いの方々・教え子の皆様。倒れてからも、変わらず気にかけてくださり、心よりうれしく思い、感謝に耐えません。 皆さまの温かい思いが父に届き、何度かの危機を克服し、しっかり頑張っております。 寝ている時間は長くなっておりますが、現役時代、昼間は仕事(通訳・旅行添乗員・大学・カルチャー講師など)そして、夜遅くまで執筆と睡眠時間の少ない人だったので、その分の調整をしているのだとお許しいただきたいと思っております。(元気な時は、寝ているところを見せる人ではなかったので、私は、気持ちよさそうに寝ている父を見ると、なぜかホッとすることもあるのです。) <2025年8月5日更新>
<2025年7月4日更新>
早いもので7月。今年も半分終わり、関東の梅雨開けも早そうで、気持ちの良い季節はあっという間に終わり、またまた今年も、めちゃくちゃ暑い季節がやってきそうです。
さて、心配だった父のその後の容態ですが、入院してしばらくは酸素吸入、ICUで約2週間お世話になりました。でも、少しづつ酸素の量が減り、咳もおさまり、自分の力で呼吸できるようになり、心配だった吸引の回数も減ってきました。そして、6月30日(月)無事に病院から施設に戻ることが出来ました。 さすが、ドクターオガワは今回も大山超えてくれました。奇跡的でした。 そして、私は確信いたしました。まだ、生きてやりたいことがある。大体2022年5月に倒れた事自体、父にとっては不本意だったのです。あんなに元気だったのに、なぜ?なぜ?と。父にはまだまだやりたいことがあるのです。今回再びそれを確信いたしました。
今回点滴だけの時間もあったので、体力も落ちやせてしまったけれど、なんか顔つきはしっかりしていて、目に力があるのです。脳の力が少し戻ってきたような感じがしました。
何回か同じことがありましたが、やはり、父はまだ生きたいのです。
天声人語の翻訳本とノートを抱えて倒れた父、本人のやりたかったことはできないけれど、私に何かできることは何かしらと再度考えております。 要介護5とはいえ、私の事・妹の事、母が亡くなったこと。アメリカから帰ってきた孫の事、ちゃんとわかっています。自分の本の事、家族の写真をしっかり見てうなづき、写真の自分の顔を見ると指さします。 <2025年7月4日更新>
<2025年6月5日、近況報告>
今年も6月、五月晴れの日がそれほど続かないうちに、早くも梅雨に入ったような感じの日が多くなっております。4月、父が葛飾区の特別養護老人ホームに落ち着いて1月半、本人も安心したのが、夜など特に声を出すこともなく、安定した日々を送ることが出来ていて、以前なかなか会えなかった姪たち(父の孫)がそれぞれ海外から帰ってきて、おじいちゃんと会えることも数回あり、びっくりするくらい反応がよく感動の再会を果たすこともできました。
そんな矢先、6月2日(月)私と妹(娘二人)でたまには一緒に面会することになり、当日昼食を済ませた後、施設へ行き、父の部屋に入りました。
いつものように静かに寝ているか、少し目を開けて、反応してくれるかを期待したのですが、父の顔は真っ青で、呼吸が荒く、苦しそう! 脂汗を書いているような形相で、痰も絡み、ひどく苦しそうな表情! 大丈夫?と声掛け、介護士さんにベッドの角度を調整してもらいましたが、改善せず、少しすると激しい嘔吐、それもかなり苦しい様子で、痰の絡みもあり、看護婦さんに来ていただき、バイタルチェックなど始まり、騒然となりました。 急に施設のお部屋が病院の治療室みたいになりました。 熱も高く、呼吸も苦しそう、痰も絡み吸引も必要となり、酸素を入れ、救急搬送が決定し、救急車を呼ぶことになりました。たまたま私たちがいた時間にこのような状況になったことは、ホント不思議でした。待っていたかのようなタイミングでした。
5月中は、あんなにいい感じで、反応し、感動の再会が出来たのに!?
やはり、高齢者は油断できません。結局救急搬送後、即入院となり、病院での診察・診療へ。 嚥性肺炎と尿路感染症による高熱・呼吸不全他とのことで、酸素もかなり入れ、なんとか落ち着き、現在は静かに眠ることが出来るようになり、ほっとしております。
再び、特別養護老人ホームから病院へ。せっかく面会できるようになったのに、、! でも、一命を取り留めたことはラッキーでした。 今は、しっかり病院での治療をして、施設に戻れることを信じ、父の生命力に任せたいと思っております。 <2025年6月5日、近況報告>
<2025年5月4日、近況報告>
早いもので、今年も4月末からのゴールデンウィークの連休に突入、今年は飛び石連休ですが、父はこの休みに入る前(4月21日)に無事、老健施設から特別養護老人ホームへの移動を完了し、まずまず新しい環境に落ち着いたと言えると思います。 ただし、前回ブログを更新した数日後の4月10日頃より、父の様子が少し変わってきてしまったのです。環境が変わるという事を、施設の方や妹と私が面会の時に話したからでしょうか? 桜が終わり、緑のきれいなこの季節、人間の細胞も活性化? 割と寒かった春が過ぎてから急に初夏の息吹・新緑の美しい季節となり、人間の細胞も活性化し、活動的になるこの季節! 父は何かを察し、声を出すようになってしまったのです。「おーい、おーい」だけでなく、少し暴言に近い、今まで聞いたことがないような言葉、体が思い通り自由にならない苛立ち・怒り・もどかしさと、苦痛というより本来の生命力からくる本能の叫び? なかなか聞き取れないし、意味もわからなかったのですが、真剣な表情で訴えることがあるのです。「帰りたい、(なんでこんなところにいるのか)嫌だ!」の気持ちから来るのでしょうか? 私たちの言っていることがどこまで理解できているのか? 脳の損傷の状況からは言語中枢はかなりやられている。言葉は理解できないし、話すことはできない。と言われ、5月22日で倒れてから3年。 言葉を発しても、なかなか聞き取れないことが多いし、危篤を乗り越えたものの、体力も落ち、寝ている時間も長くなり、多分意識をなくしてからの月日を経て、倒れる前にはなかった認知症的症状も進んできてしまったのでしょうか? 言葉を発しても意味わからなかったのですが、最近は目をしっかり開き、真剣な表情で必死に訴えることがあるのです。「考えろ、(帰らせろ?とも聴こえます)」そして、「バカヤロウ!」(父の嫌いな言葉でした)体も動かないし、どうにもならないのですが、何かやりたい、やり残したことがある。脳のどこかが壊れているのに、何か漠然と、こんな事(寝てばかり)してはいられない、みたいな? 家に帰って仕事したいみたいな?? ある面、壊れてしまっていたどこかが回復し元気が出てきたのかもしれないのですが、完全に別人格になってしまい、どうすることもできず少し戸惑っておりました。昨日5月3日、再度面会してその後の父の様子を聞きました。施設にもだいぶ慣れ、数日は暴言もほとんど聞かれなくなったとのことです。意味がどの程度理解できてるかはわかりませんが、英語のイエスに近い「イヤー!、オウ!」などの発語が多くなり、うなづき、多少のコニュニケーションができるようになってきているとか? ホットしました。
起きている時、自身の著書(本)や家族の写真などを見る反応も、目をしっかり見開き、以前よりしっかりしてきたような感じです。 自身で体を動かすこともできず、要介護5になってしまった今の父のためにできることは何なのかを考えながら、人の生命力はそれぞれであり、本当に理解できないものだという事を改めて、感じております。 <2025年5月4日、近況報告>
<2025年4月7日、近況報告>
◆今年は、3月後半から寒くて雨模様の日が多く、4月に入ってようやく満開の桜を楽しめる季節となりました。 咲き始めてからもゆっくりペースで、まだまだ楽しめそうです。桜祭りなど終わってしまったところもあるようですが、桜が始業式に間に合うなんて、久しぶりではないでしょうか? それはそれでうれしいし、ありがたいことでもあると思います。
4月3日(木)、父の面会の日、お花茶屋のすぐ近くの遊歩道の桜もきれいでしたが、空が暗く、雨模様の日でしたので、桜の美しさが、なんとなくいつもの感じではなく、少し残念でした。 今回はタイから帰ってきた妹と一緒に面会に来ました。二人で行くのは久しぶりだったのですが、特に変わったことはなく、顔色なども悪くなく、順調で落ち着いておりました。「わかる?」と聞くと、「うん」とうなずいてくれる。音楽・写真などにも反応してくれる。そして、時々ちょっと苦しそうな、痰が絡まったような咳、「特に心配はないです」との事ですが、以前と比べると、「おーい、おーい。」という発語も少なくなり、少し元気がない感じがしました。 本人が時々触っている下の前歯のとがったところを治療する、という事になり、特別養護老人ホームへの入所までに、治療ができるようお願いし、いろいろ細かい打ち合わせに入っております。今度移動することになる葛飾区の特別養護老人ホームは、面会の縛りがだいぶ緩くなるので、できるだけ頻繁にかよい、耳は聴こえるようなので、脳を活性化させるためにも、声掛けをしたりして、元気な反応を期待したいです。約1年前入院した病院の先生から、「脳梗塞は聴こえているのですよ。一日1回でもいいので、声かけてあげてください。」という言葉を思い出しました。施設の皆様もしてくださっていることと思いますが、家族の声掛けは違うと思うので、貴重な一緒にいられる時間を大切にしたいと思っております。 <2025年4月7日、近況報告>
◆2025年に入り早二月経過。2月は逃げ月と、亡くなった母がよく言ってましたが、私にとってもホントでした。 前回の更新から、3週間余りですが、何かアッという間でした。その後の父の様子ですが、14日胃ろうチューブ交換、今回で5回目となります。アメリカでは年寄りに胃ろうとかやらないとか? 今、高齢者の医療費用の問題など、いろいろ考えることはあると思いますが、私自身、勝手かもしれませんが、どんな状態であれ、父はできる限り生きていてほしい、と思います。そして、何か意味があるから頑張って生きているのでそのために必要な手段だと思いたいのです。 もちろん、特別な延命治療は望みませんし、本人が苦しいならば、生きていることが(また、無理に生かしておくことが)罪かもしれませんが、父の場合は、目もしっかりしているし、昨年の危篤状態の時も、特別エクモなど使わず、自力で呼吸ができるようになったのです。脳梗塞さえ起こさなければ、まだ頭もしっかりしていて、現役? 103歳まで生きた実の母(私の祖母)の生命力を思えば、納得できる事と思うのです。
2月22日(土)、母の墓参りに妹と行った時の富士山はとてもきれいでした。海外から帰ってくる飛行機の中で、日本の上空に近づいて富士山が見えた時、ホントうれしくなりますよね。父は何回その光景を見た事でしょう。何かあると必ず写真を撮ってきた父、パスポートにスタンプ押すところがなくなった位、海外渡航の多かった父にとって、富士山が大好き、自分の富二という名前もすごく気に入っていたし、高いところが好き、すでに30年位前に、マンションの23階に住みたいという人は、日本のその世代の人としては珍しかったのではないかと思います。
今回もう一つ、父は現在の施設(介護老人保健施設)から、別の施設(特別養護老人ホーム)に移る方向で話が進んでいることをお知らせいたします。詳しくはまた次回の更新時にお伝えいたしますが、決して容態が悪くなったという事でもなく、今の施設に問題があるわけでもなく、良くない施設に移るのでもなく、むしろ、施設の特殊性から、移った方がいいという事になり、神の声みたいな感じで話が進んでいるということです。 <2025年3月1日、近況報告>
◆2025年、あっという間に2月、父の近況は?容態は?と言えば、まずまず安定しております。としか言えないちょっと悲しい現状です。実は12月から施設内でインフルエンザが流行し、面会の規制が入り、1月20日過ぎてからやっと少し緩くなったものの、今度は予約が取れず、なかなか会う機会がありません。2月14日は胃ろうのチューブ交換で病院付き添いが入るので、その時がむしろ楽しみです。良い病院・施設の選び方は、ホントに難しいと思います。その時の本人の容態にもよりますし、どんなサービスを必要とし、本人の健康状態によって合うもの合わないもの、いつも同じとは限りません。 今の老健と言われる施設の皆様はとても立派に職務をこなし、よく看てくださっていて感謝しております。 でも、会えないのはつらいですし、もしかしたら、父にとっても、家族との大切な時間(ほんとに貴重な限られた時間)がないということは、生きるエネルギー・喜びを奪われているようなものかもしれないのです。会ったところで、何も反応しないかもしれないし、変わらないかもしれない。(でも、周りの者もできることは会う事だけなので)以前ほどの声の大きさもなく、動いて困ることも少なくなったとは言え、別れるとき必ず、必死で手を振ろうとする。何か訴えようとしているその姿を1回でも多くしっかり焼き付けておきたいと思うのです。 <2025年2月6日、近況報告>
◆2025年、新年を迎えました。昨年は元日から大きな地震や飛行機事故があり、悲痛な思いで迎えたお正月でしたが、1月4日には、骨折で退院した母と施設にいる父との最期の再会が出来たことを思い出します。 今年はお天気も良く、施設でお世話になっている父も無事に落ち着いた状態で、新しい年を迎えることが出来た事は、本当にありがたいことと感謝しております。 ただし、昨年2月に母が亡くなり、つい3年前までは、4世代20名近くが実家に集まり、にぎやかに迎えることが出来たお正月がとても懐かしくなりました。 母はにぎやかな雰囲気が好きでしたので、子供・孫・ひ孫たちが集まり、おばあちゃんの思い出話に花を咲かせ、楽しい時間を過ごすことを喜んでくれていることと思います。
父は言葉を失って、早2年半、倒れた時しっかり天声人語の本を持っていた事、その直前まで、もう一冊書きたい、と言いながら、電子書籍の話をしていたことを思い出します。今も無意識の中で、何かしたいと頑張っているのだと思います。今年こそ、何か父の意に沿うことを(簡単なことでも)実現出来たらと思っております。 <2025年1月8日、近況報告>
◆今年も師走、残り少なくなりました。 今年一年はホントに短くあっという間に過ぎてしまいました。 2月、父母とも危篤状態の日々、それぞれの病院・施設に足を運び多忙な日々を過ごしながら、2月22日に母が天寿を全う致しました。そして父は、約1か月半の病院生活を経て奇跡的に回復し、施設に戻ることが出来たのは、本当に神様の力?と感謝! まだまだ何か伝えたいことがあるのかもしれません。 今年1年、多くの方が亡くなりました。有名人だけでも、60代・70代・つい先日は元アイドルの大物スターが亡くなり、とてもびっくり、ショックを受けました。父母ともプラチナ婚を迎え、90過ぎまで、まずまず健康長寿で、それぞれの人生を送れたことは喜ばしいことだったのかもしれません。 そして、人はそれぞれの生き方、それぞれの最期の迎え方があるという事を改めて実感いたしました。10月無事に母の納骨が終わった時、次は自分の番という認識を新たにしたものです。父は、先日(12月5日)会いに行った時も、特に変わりなく落ち着いていました。これから寒くなる季節、父自身はそれほど寒がりではなかったですが、年寄りには厳しい季節となります。相変わらず言葉を話すことも、口から食べることもできませんが、目はしっかりしており、写真などを見せると反応してくれました。特に辛そう・苦しそうなことは何もない感じなので、言葉を失ってから3回目のお正月も無事に迎えることが出来ると思います。毎日お世話してくださる施設の皆さま、父の事を心配してくださる多くの皆さまに感謝しつつ、美しく雪化粧した富士山のふもとに眠る母の遺影に手を合わせ、新年の準備を始めたいと思っております。 <2024年12月10日、近況報告>
◆11月の更新は早めにと思っておりましたが、20日になってしまいました。2024年も、あっという間にあと1月半を切り、お歳暮に年賀状、おせちの注文などの季節になりました。 11月11日(月)、納骨後,初めての墓参りに行きました。この日、タイから、妹の子、マリちゃん夫婦(小川富二・徹子の孫)が来てくれて、箱根方面ドライブ旅行を兼ねて、ホテルに送らせたタイのすてきなお花を携えて母の墓地へ。「Dr.OGAWA WITH FAMILY」の墓碑の前で記念撮影をしました。 そして、その報告を兼ねて、父の施設に18日(月)妹と二人で行ってきました。相変わらず話すことはできませんが、霊園の写真などしっかり見てくれて、スマホの写真での説明がわかってくれたような(?) 時々うなずいたり、何か言おうとしたり、反応していました。 時代とともに、墓地の考え方も変わりますが、お墓があり、墓参りにできるのはやはり、ありがたい感じがします。というか、「おばあちゃん、会いに来たからね。」と、行けるところがあるのは安心するような気持になります。
父がよく、「アメリカ人の自分の友人は散骨だった。墓を持たない。」という話をしていましたが、「人は亡くなれば無」でも、その人の生きた証として、親子・きょうだい・知人、知り合いの人達の中にその人の生きざまや思い出を大切にするために、愛され残されたものが心のよりどころとなる?そんな形のものがあるのは、とてもうれしいことだと思います。「お母さん!おばあちゃん!子や孫たちが墓参りに来てくれるのはうれしいよね?」と墓前で話しかけました。 そして「お父さんはまだやりたいことがあるのよね。伝えたいことがあるのよね。だから、今のままでもう少しだけ頑張ってくださいね。」と墓参り報告をしながら、話してきました。 <2024年11月20日、近況報告>
<2024年10月21日、近況報告> ◆10月の更新遅くなりすみません。2024年も10月に入り、あっという間に後半、さすがに秋らしくなり涼しい日もあるものの、まだまだ時々びっくりするような夏日がやってきます。 10月13日(日)もよく晴れて良すぎる位の天気に恵まれた三連休の中日でした。この日、富士霊園にて、母(小川徹子)と5月に後を追うようにして亡くなった叔母(父の実妹、石井美江子)の納骨式がありました。「Dr.OGAWA WITH FAMILY」の墓碑の前に大勢の方に集まっていただき、あふれるばかりの花束に囲まれ、とても明るい雰囲気の中でのお見送りになりました。 建立者:小川富二の名前の下に、母と叔母の名前が実名で刻まれております。父は「戒名はいらない、つけてくれるな!」が遺言のようなものでしたので、そのことを守り墓誌の代わりに、「REST IN PEACE」として母と叔母の名前をそのまま入れました。 今の父の状態は要介護5とはいえ、何回もの危機を乗り越え、奇跡的にがんばってくれてこの日が迎えられたこと、さすがDr.Ogawaの底力をありがたく思いホッといたしました。 先日(10月17日)霊園の写真を見せながら施設に報告に行った時、とてもうれしそうな表情をしていたので、ある程度の状況は理解してくれたように思います。 体重も少しずつ増えていているようで、まずまず順調、「おーい!」「はい、」の他、聞き取れない発語もございますが、特に心配なことがあるわけではなく、落ち着いている感じで安心しております。
倒れる直前まで、普通に生活していた父、もっといろいろ話をしておけばよかった。と思う事が多々あります。今頑張ってくれているのは、「まだ言いたいことがある。やりたいことがある。」の表れなのだと思いつつ、それを言葉に発することが出来ない父、あの表情の中からしっかり読み取りながら、娘としてこれからもできることを続けていきたいと思っております。 <2024年10月21日、近況報告>
◆2024年9月に入り、暦の上では秋ですが、ノロノロ台風の後も、相変わらず暑さがやわらぐことなく、まだまだ猛暑が続いています。 8月13日、93歳のお誕生日には、施設の中で心温まるお誕生日会をしていただいたのでしょう。 バースデーカードとケーキ(レプリカ)を持った父の素敵な写真を作っていただき、元気な様子がわかりました。 そして、昨日(9/5)ライン面会がございました。 相変わらず、オンラインでの面会で直接会う事は出来ませんでしたが、特に変わったこと・心配なことはない感じで、まずまず元気そうな顔を見ることができホットいたしました。 この日は妹がアメリカに行ってきたことを報告。父の思い出の地、アメリカ国内(Chicago→Arizona→LA)を周り、50年以上前に父とDr.Westoverの出会いから始まったご縁は国境を越え、時代を超え、子や孫たちの代へ替わっても、ずっと続いている絆であり、その友情の深さはアメリカでもびっくりされる事が多かったとのこと。 ホントにありがたい・素晴らしいご縁を築いてくれた事を改めて感謝いたしました。 妹が父の代わりに「行ってきたよ!」という話を聞きながら、「わかる?」と聞くと「うん、うん」とうなづいており、アメリカは父にとっては大切な心のふるさとであることを、再認識いたしました。 あの時代(1960年代)、アメリカに行く日本人も少なく、まして大学の教壇に立てる数少ない日本人の一人として、西イリノイ大学の副学長との出会いをきっかけに、アメリカと日本の架け橋として活躍し、実用英語教育・日米比較文化研究のパイオニアとして多くの著書を残した父・小川富二の偉業に、改めて頭が下がりました。 <2024年9月6日、近況報告>
<2024年8月8日、近況報告>
◆2024年8月に入り、父が脳梗塞で倒れ緊急手術により、一命を取り留めてから早2年2か月が過ぎ、3回目の夏を乗り越えようとしております。昨日(8/7)施設面会(ラインによるオンライン面会)に妹と行って参りました。ホントはそろそろ部屋に入っての面会が可能になる予定で楽しみにしていたのですが、8月1日より再度コロナ感染予防の規制強化で、直接面会できず、回数もしぼられたままが続いております。面会時間は朝11時で、オンラインという事もあり、(直接面会室に降りて会えるという状況でなかった事)、それと、長年時差に鍛えられ夜型人間(原稿執筆は夜になると能率上る)父の独特の生活リズムもあり、この時間は眠かったのでしょう。ほぼ居眠り状態でしたが、顔色も落ち着いていてまずまず安定している感じでした。(細かいことを言えば、一度尿管の状態をチェックの必要ありで、泌尿器受診予定などはありますが!)
倒れてから2年、父が教壇から離れて早いもので10年(80歳までバリバリの現役でした。)今だに、教え子の皆様や父の本の愛読者さまから、心配してくださり、温かいメッセージ・激励のおはがきなどを頂戴することがあり、心よりうれしく思い感謝しております。事あるごとに、そのメッセージを伝えに通い、父の無意識下の生命力となっていることは間違えないと思っております。本当にありがとうございます。この場をかりて、改めて御礼申し上げます。 <2024年8月8日、近況報告>
<2024年7月9日、近況報告>
◆2024年7月に入り、遅い梅雨入りが発表されて時々大雨が降るものの、涼しげな雨の日が続くのではなく、とにかくムシムシした危険な暑さ、日本は熱帯地域の国(スコールのない)に変わってしまったのかと思う毎日です。 父の施設はそれなりにクーラーも効き、手厚くお世話していただけているので、安心です。 先日1日(月)の日の面会時は、特に心配なことはなく、目もはっきりしていて、今年の夏の予定や母や叔母(父の妹)の法事等について話してきました。 どこまで理解できているかはわかりませんが、時々うなずき、写真を見ながら、「うん、うん」というのはいつもと変わりませんでしたが、今回「OK!」という言葉が出てきてびっくりしました。そして、面会時間が終わり別れるときには、軽く手をふってくれたのは嬉しかったです。 細かい検査の数値等すべて安心というわけではありませんが、まずまず安定していてくれているので、ありがたいと思っております。先日持参したCDやDVD等も気に入ってくれている感じで、まずまず平穏に過ごせているようでホットいたしました。 部屋に入ってゆっくり話せるわけではないのですが、症状はまずまず良好、今のままこの猛暑をしっかり乗り切ってほしいと願っております。 <2024年7月9日、近況報告>
<2024年6月7日、近況報告>
◆2024年6月、今年も早いもので中盤となります。年を取るにつれて、月日のたつのが早く1年が短く感じます。 特に今年は年明けから父も母も病院・施設を行ったり来たりで大変でしたし、2月母が亡くなって数か月、いろいろ忙しくあっという間に過ぎてしまいました。また先月5月末ごろ、闘病中だった父の妹である叔母が亡くなりました。悲しいことではありますが、苦しい闘病生活から解放され独り身でしたが、姉妹たち家族にお世話してもらい、苦しむことなく看取られ大往生(84歳)の叔母は幸せな最期でした。 父も心配していた事でしたので、大きな責任をまた一つ果たせたことでもあり、どんな状況であれ、頑張って生きていてくれるだけで存在感のある父に感謝したいと思いました。 先日(5月30日)父の面会に行きました。 施設では、時々声を発し「オーイ、オーイ。うん、いいよ。」など、特に変わりなく、多少体重も増え、栄養状態も向上し、回復に向かっている感じです。 妹と私が「お父さん、わかる?」と声をかけると、しっかり「うん。」とうなずいてくれました。部屋ではCDを聞き、DVDなども見たりしているそうですが、昼夜逆転がまた始まり、夕方から元気になることが多いとか? そして、床ずれがよくなり、多少動くことが出来るようになったこと、それはそれでいいのですが、また別の心配事なども出てくるわけで、お世話してくださる方には申し訳ないですが、まずまず順調な証拠と、少しホッといたしました。 <2024年6月7日、近況報告>
<2024年5月2日、近況報告>
◆2024年5月、今年もゴールデンウィーク(大型連休)がやってきました。 振り返ってみれば、2年前までは、父母の他に必ず小田原から新幹線で来てくれる叔母と元気な御年90歳3人の高齢者に会うために、孫やひ孫も集まるのが恒例でにぎやかなものでした。2022年5月22日に父が倒れ、8月末に一番元気だった叔母が急逝し、そして母も今年2月に亡くなり、父は施設におり、寂しい連休となりました。父一人になってしまいましたが、心配だった約2年前の救急搬送から何回も危機を乗り越え、頑張ってくれていることに元気をもらえますし、張り合いがあり、寂しさを吹き飛ばしてくれております。
先日5月2日(木)、施設で2週間ぶりに父に会える日でした。顔色もよく、話しかけると反応も悪くなく、言葉はしゃべれないけれど、話している内容はかなり理解できている感じで、「うん、うん、」とか、「アッそう?」とか、何か一部記憶がよみがえってきているような、しっかりしたうなずき方でした。栄養状態が少し心配ですが、以前よりは体重も増えているようで、ひとまず安心いたしました。施設に戻って早いもので1月以上たち、昼間は起きている時間も長くなり、規則正しい生活・車いすで皆さんの集まるところへの移動など、病院とまた違う刺激のある生活が良いのでしょうか? 回復ぶりに感服いたし, 人が生きるために大切なもの、病気を克服した後の回復につながるのは何かを考えると、人とのふれあい? 生活する生きがい? 人間らしく生きるための刺激? そういうものが必要なのだと改めて気づかされます。病院は治療するところ、病気を治すところ、生きていくためには、生命力プラス、それを奮い立たせる何かが必要なのでしょう。そのためには人との関わり合いも大切であり、何かやりたいことがある、伝えたい強いメッセージがあるという事なのかもしれないと思います。そして、父が倒れる直前まで「天声人語の翻訳をやりたい」と言っていたこと、そして母のことを心配し、「自分が先には逝けない」と言っていた事を思い出しました。 <2024年5月2日、近況報告>
<2024年4月12日、近況報告>
◆2024年4月、桜の季節です。ちょうど満開の今年の桜は、3月末位からゆっくり楽しむことができ、寒かったり、雨模様の日が多かったり、例年になく長い期間楽しめる感じがいたします。さて、その後の父ですが、3月26日、済生会向島病院からお花茶屋ロイヤルケアセンターに無事に戻ることが出来ました。施設に戻って約2週間、特に変わりなく、先日4月3日、約15分でしたが妹と面会に行った時には、時々「うん」とうなずいてくれたり、まずまず落ち着いている感じでした。最悪を脱したとは言え、簡単なリハビリさえ、体力を消耗し疲労から高熱を出したりすることがあるので、とにかく今の状態に戻れたことに感謝したいと思います。 4月12日現在、施設に戻って2週間余り経ち、経管栄養も順調・時々「オーイ・オーイ」等の声も出るようになっているとのことでございます。できることなら、もう少し頻繁に面会できて、父の好きだった音楽や、かつて旅行や仕事で行ったことのある数多い思い出の場所や地域(国内外問わず、特にアメリカ等)の話をし、写真を見せたりしながら、ゆっくり大好きな曲を聞かせてあげることができればと思うのです。(施設の感染症対策は意味があるので、仕方ないですが、) 病院入院中、ものすごく、反応することがあったので、無意識の中で何となくよみがえってくる記憶みたいなものがあるのだと思います。脳の機能が働かなくなっても、耳は聴こえ、なんとなく理解できるのでしょう。その時の嬉しそうな目に力のある父の顔、英語・音楽等に反応し、往年時代のイキイキとして楽しかった日々がよみがえってくるのかもしれません。無意識なようで、何か必死に訴えている感じがいたします。何もできませんが、せめて一緒にいられるその瞬間の貴重な時間を大切にしたいと思っております。 <2024年4月12日、近況報告>
<2024年3月15日、近況報告>
◆2024年3月、今年もアッという間に、桜の開花のニュースが聞かれる季節となりました。2月12日の更新からだいぶ時間がたってしまい、父を心配してくださる皆さまには大変申し訳なく思いお詫び申し上げます。その後の父ですが、2月14日の日に療養施設の医師の判断でコロナ以外の可能性があり、転院を進められ、済生会向島病院に転院いたしました。心臓・肝臓の機能低下・肺炎・心臓に水が溜まって心不全等の問題ありとのことで、病院での治療が始まりました。 あれから早1か月、奇跡的に少しづつ回復し、3月14日現在, 酸素がなくても呼吸ができるようになり、経管栄養も開始でき、何とかコロナ・肺炎・心不全の症状は克服できた感じです。油断はできませんが、最悪の状況からは脱することが出来ました。父を救ってくださった施設・病院の皆さま・医師の先生方と看護士・介護士他のスタッフの皆様方に心から感謝申し上げます。
お知らせ(更新)が遅くなってしまった理由の一つは、父の容態が落ち着くまでに時間がかかってしまったことと、もう一つ、小川富二の妻徹子が、2月22日、先に逝去してしまったことでした。 2月初め頃までは、足の浮腫等ありはしたものの、まだしっかり話もでき元気な母でしたので、心配していた父より先に亡くなってしまうとは、骨折手術後等、ある程度予想していた事とはいえ突然の出来事でした。若いころから多くの病気を克服してきた母、最期は食事が全く喉を通らなくなって約8日後、老衰で静かに苦しむことなく、それも昼間の時間に、妹と私二人の娘とオンラインで孫たち・施設の皆さまに看とられながら静かに息を引き取ることが出来たことは幸せな最期だったのかもしれません。26日、身内・親族だけで、ささやかですが母が喜んでくれることを第1に考えたお別れの会(葬儀)を執り行い、荼毘に付すことが出来ました。
悲しいお知らせではありますが、父は母のことを一番心配しておりましたので、母が平穏な最期を迎え、父が母より先に逝かなかったという事は、大きな責任を果たしたことでもあります。あの状況で病と闘い、病魔に負けない父に改めて敬意を表したいと思います。父が病院にいる間、重篤な状況を脱した頃からは面会が可能となり、孫たちも父と直接会うことができました。また先日、妹は父の耳元で、英語で話しかけ、英語の曲等を聞かせたら、うれしそうな顔をし、笑顔で反応したとのこと。また、私は、母の手元供養用に分骨した御骨を父の腕の中に抱かせ、枕元において、二人を安心させてあげることができました。 寝ている時間が多くなっている父ですが、多分施設に戻れる日も近いと思います。 <2024年3月15日、近況報告>
<2024年2月12日、近況報告>
◆2024年2月に入り、5日の日は東京でも大雪となりました。雪国の方からすればたいしたことない降雪でも、首都圏は交通機関などに支障をきたし、翌日まで電車ダイヤは乱れ、高齢者のお見舞い・面会も厳しい状況になります。大雪の二日後2月7日(水)、よく晴れて気持ちのいい割と暖かい日、久しぶりに直接父に会うことが出来ました。胃ろうのチューブ交換で施設から近くの病院へ、家族の付き添いが必要なのです。コロナや大雪等でなかなか会えないので、むしろ有り難いチャンスと思い一緒に病院へ行きました。何事もなく、無事終了。久々に会った父の顔は割としっかりしていて、大丈夫そう! 口数は少ないけれど顔色も悪くなく、グターと寝ている感じでもなく、少し安心いたしました。 その翌日からです、高熱・痰のからみとひどい咳、酸素量の低下・呼吸の乱れなど施設から電話あり。熱も昼間は下がり、夜上がる、痰の吸引の回数も増え呼吸も苦しそう、そんな状態が続き、10日(土)夕方の電話で、父のコロナ陽性が判明したという知らせがありました。施設は老健ですので、酸素・薬等あるけれど、連休でもあり充分な医療行為は望めないとのこと。感染症でもあり、いろいろ検討し、受け入れ先を決めるのも時間かかりましたが、幸い東京都の高齢者専用コロナ患者受け入れ可能の療養所(医師常駐)に救急搬送されました。とりあえず、無事に行先が決まりホットいたしました。本人と関係者しか中に入れず、とにかくお任せするしかない特別施設ですが、担当(当番)の先生・スタッフの方も親切でよかったと思います(電話のみ対応)。2月12日現在も酸素投与と吸引等の治療は続いております。本人も高齢ですし負担のかかる延命治療はせず、できる限りの治療をお願いしております。 相変わらず、栄養状態の良くない母もですが、この寒さ・厳しさもあり、二人ともかつての笑顔もなく、衰弱の方向へ向かっていることは認めざるをえません。再度、心的・物理的準備をしながら、祈りの日々を続けていきたいと思っております。 <2024年2月12日、近況報告>
<2024年1月6日、近況報告>
◆2024年1月、父小川富二も、そして母の徹子も、昨年は何度か危機的状況があり, ハラハラドキドキの2023年でしたが、何とか無事に新年を迎えることが出来ました。例年のご挨拶をしたいところですが、今年は新年早々、地震と飛行機事故等大変なことが起こっており、身につまされる思いがいたしますので、恒例のご挨拶は差し控えます。被害にあわれた方々にはお見舞いと心から哀悼の意を表したいと思います。 さて、父も母も、健康長寿とは言えませんが、二人そろって別々の病院・施設でお世話になり、先進の医療・手厚い看護・介護で昨年10月プラチナ婚を迎えることが出来ました。振り返ってみると1年以上も、二人を会わせてあげることが出来なかったのですが、1月4日、父の施設(お花茶屋ロイヤルケアセンター)の温かいご配慮で10分から15分位、再会させることが出来ました。二人ともお互いを心配し、会うたびに画像を見せていたものの、手をとり再会を喜んでおりました。「よかった。よかった!」貴重な思い出撮影ができ、安心いたしました。何かと心配は尽きない日々ではございますが、残り少ない時間、幸せな余生を過ごし、天寿を全うしてほしいと切に願っております。 <2024年1月6日、近況報告>
<2023年12月5日、近況報告>
◆先週、11月30日(木)、父と面会できる日でした。日に日に寒くなるこの季節、高齢者には厳しい季節と思います。11月のイベント(七五三・結構式等)のスマホの写真を見せながら、「皆元気だからね。お母さんも無事に手術終わったからね。」と妹と報告しました。無言でしたが、わかっている感じ、うん、うん、とうなずいていました。ちょっとまた痩せてしまったかな? 倒れてから1年半、言葉を失って、要介護5になってしまってから、静かに父との思い出を振り返る時間があり、恵まれた施設で丁寧にお世話していただけていること、そして、父が骨折入院の母や子供・孫たちの祈りを受け止めて、頑張ってくれていることをありがたいと思っております。 <2023年12月5日、近況報告>
<2023年11月22日、近況報告>
◆早いもので父が老健と言われる施設、お花茶屋ロイヤルケアセンターに移動して、1年近く経ちました。その間救急病院へ2回転院、そろそろ他の老人施設への移動を考える時期でもあるのですが、父の場合、やはり医療サービスが受けられるところでないと、心配な状況が続いているのです。高齢者にとって高熱は、体への負担がものすごくかかるのですが、父の場合それを何度か繰り返し、下がったと思うとまた、という状況が続き、なかなか元気で栄養状態が良好という状況にはならないのです。11月は特に、仕事以外にもひ孫の七五三、孫の結婚式と続き、皆あわただしく動いておりましたので、「おじいちゃん、頑張って」と心から祈っておりました。その祈りが通じたのか、何とか乗り越えてくれていることに心から感謝したいと思います。話ができない、コミュニケーションは取れないけれど「おじいちゃんはすべてわかってくれているんだね。」と、高熱・心配な状態の連絡受けるたびに子供たちと一緒に皆で祈り、その願いが届いているのだと思ったのです。母も転倒その後、痛みがひどく骨折が判明、11月7日、手術を受けて、激痛からは解放されつつあるものの、栄養状態がよくない状況です。でも、90過ぎていても迷うことなく無事に手術、日本の医療はものすごく進んでいることに改めて感謝したいと思います。 <2023年11月22日、近況報告>
<2023年10月22日、近況報告更新>
◆またまた、更新が遅くなり申し訳ございません。猛暑続きの9月中旬から、一気に秋の10月、いろいろございました。 先日10月18日(水)久しぶりに父の様子を見に行くことが出来ました。この時、10月10日頃の父の動画を見せてもらい、いつもとそれ程変わりなく過ごせている様子でホットいたしました。その前9月25日(月)にも施設に行きましたが、特に問題なしでした。この分なら多分何事もなく無事に10月10日、結婚70周年プラチナ婚が迎えられると思いきや、9月28日(木)、今回は母の方が別の施設で夜中(朝方)転倒、頭と膝から出血、救急搬送され本人大騒ぎ、(要介護3認知症の母は父よりある面大変です。)検査や通院やらで、てんやわんやバタバタしておりました。幸い骨折ではなく、頭と膝3針縫い、出血も収まり、多少痛みを思い出すこともあるようですが、まずまず落ち着きました。月が替わって10月3連休の後半、今度は父の方が発熱・感染症で少し心配な状況になり、緊張しておりました。というわけで、ドキドキハラハラの、ぎりぎりまで奇跡のハッピーアニバーサリー・プラチナ婚となりました。あまり大げさにはしゃぎ過ぎない方がよろしいような、妹と二人で静かに祝杯を挙げ、とにかく「二人ともよく頑張ったよね。おめでとう!」とお互い、[私たちもよく頑張ったよね]と労をねぎらいました。いつもお世話をしてくださる皆さま、静かに見守ってくださる皆さまにも、心より感謝し、ご報告とさせていただきます。<2023年10月20日、近況報告>
<2023年8月24日、近況報告更新>
◆先日8月13日(日)父小川富二はめでたく92歳のお誕生日を迎えることができました。コロナが落ち着きつつあるとはいえ、まだまだ直接会うことはできませんでしたが、当日施設の看護婦さんに素敵な手作りのケーキを作ってもらい(この看護婦さん、かつて父の本で英語の勉強をしてくださったという不思議なご縁の方で)他のスタッフの皆様と温かく素敵な誕生日のお祝いをしてくださったとのこと。その時の写真をしっかり持って、19日(土)妹と二人で面会に行った時、明るい表情の父と会うことができました。栄養状態もだいぶ良くなり、顔つきもしっかり以前の目力が戻ってきた感じです。同日、母の施設に父の写真を持って寄ると、母も「パパ、元気になったわね。よかった、よかった。」と喜んでおりました。本当に施設の皆さまのおかげです。父もそして母も本当に運の良い人だと思います。長い療養生活の中で、つくづく思うこと。病気は病院だけではよくならない。そして医学の進歩をもさることながら、生命力は人との関わりの中で、本来の力を発揮するのかもしれないということ。 4年前、この夏を乗り越えられないかもと医師から言われた母も、やはりいろんな方々に支えられ心不全を克服し、現在グループホームの生活にもすっかり慣れました。一番心配していた父が、先に倒れてしまったけれど、明るい母の動画を嬉しそうに見て、まだまだ頑張れるぞというような表情を見せてくれたのです。今年10月10日は奇跡のプラチナ婚(結婚70周年)が迎えられそうです。<2023年8月24日、近況報告>
2023年8月25日
◆便りのないのがよい知らせ! とはいえ、父の様子を心配してくださる皆さまには、更新遅くなり大変申し訳ございません。施設もせいぜい2~3週間に1度、電話で予約しての短時間(15分)のカーテン越しの面会で、コロナ対策まだまだ厳重の老健と言われる施設ですので、なかなか会えるチャンスも少ないのです。そんな中で7月13日(木)父の施設に面会に行って参りました。 今回びっくりしたのは、父が自分の本をもって、何か「こっこ!」とか「これっ!」とか、自分の写っているページを指さし、ムニャムニャ、、言葉にはなりませんでしたが、一生懸命何か話そうとしていたことです。まだまだやりたかったことがあるのでしょう。顔色もよく、顔つきもしっかりしていて、何か記憶の一部がよみがえってきたのか? 必死で訴えていることが理解できず、虚しかったのですが、まだまだしっかりと魂の入った学者の目力がそこにはありました。 少量ですが口からの栄養補給も始まり、元気を取り戻しつつあるのかもしれません。腸の力が脳の力? 絶対動かないはずの右手が少しづつ動き、わからないはずの言葉がわずかながら、発することができる。絶望の淵から回復しつつある「転んでもただでは起きない、90歳を過ぎた天才バイリンガルと言われた老年学者の姿」を見ることができました。父としてというより一人の人間として、その生きざまは立派、感動した一日でした。 <2023年7月22日、近況報告>
2023年7月23日
◆先日6月8日(木)父の施設に面会に行きました。コロナが落ち着きつつあるとはいえ施設内はまだまだ厳重警戒、予約も必要で、1階ロビーでの分厚い透明のビニールカーテン越し約10分の再会でしたが、父の様子は良好で、ゆっくりですが順調に快方へ向かっているのがわかりました。栄養状態がもう少しよくなれば、リハビリも進み口からの栄養補給なども可能になるのでしょうが、まだ少し心配とのこと。それでもスタッフの皆さんに本当に大事にされて、笑顔に近い良い表情を見せてくれるようになっているのがうれしかったです。現在二人部屋で、夕方になると「おーい、おーい」の合唱が始まり、英語の話せるスタッフとの挨拶で、「ハウアーユー?」の問いかけに、「ファイン!」と答えたとか? 時々「イリノイ」という言葉も発するようになっていて、皆さんに「先生、先生」と言われながら、平穏に過ごせている様子でした。 <2023年6月14日、近況報告>
2023年6月14日
◆5月22日(月)、昨年父が脳梗塞で倒れて急搬搬送され、千葉北総病院で緊急のカテーテル手術となった日からちょうど丸1年たちました。ちょうどこの日、10日前に足立区の病院から戻ったお花茶屋ロイヤルケアセンターへ、娘二人で面会に行きました。いつも寝てばかりの父でしたが、意外?? ストレッチャーやベッドではなく、車いすで1階の面会スペースまで降りてきてくれて(もちろん介添え付きですが)、しっかり目を開き、「お父さん、わかる??二人で会いに来たよ。」という妹と私の言葉にうなずき反応し、母のラインの激励メッセージ動画を見て、うれしそうな顔をしてくれました。寝たきりに近かったつい先日までの病院での状況からすると、快方に向かい回復しつつあることははっきりとわかりました。あれから1年後、またまた危機を乗り越えて奇跡が起こったような、子や孫、家族そして多くの皆さまの祈りが届いたような、うれしい記念日となりました。<2023年5月24日、近況報告>
2023年5月24日
◆5月9日(火)、入院先の病院より電話あり、小川富二は容態が落ち着き、今週末頃には施設に戻っても大丈夫でしょう。との連絡でした。 先日、面会に行ったときは、ほとんど寝ていて起きている顔を見ることはできない状態でした。素直に喜んでいいのか不安な感じもいたしますが、とりあえず、危機は脱したということで今後の回復を期待したいと思います。<2023年5月10日、近況報告>
2023年5月10日
◆4月22日(土)、父小川富二が「お花茶屋ロイヤルケアセンター」に戻ってわずか10日後、父は再度都内の救急病院に搬送されました。原因は前日からの突然の高熱、低血圧症・軽い意識障害・酸素量低下、呼吸不全などの症状のためでしたが、高熱による著しい体力低下・栄養状態も良くないまま、一週間が過ぎましたが、ほとんど寝たきりの状態が続いております。残念ながら、今の状態をキープ出来れていれば幸いと思わざるをえない状況です。高校卒業してから80代半ばまで、ずっと寝る間も惜しんで、学びながら働き、世界中を飛び回り、50代からは教檀に立ちながら著書33冊書き続けてきて、家族でも寝ている姿を見ることはほとんどない人だったので、今はゆっくり休んで、もう一度だけ目を開けて少しだけでも笑顔を見せてほしいと祈っております。 <2023年5月1日、近況報告>
2023年5月1日
◆父小川富二が意識障害・血圧低下症の異変により救急搬送され、緊急入院となってから早いもので1か月近くたちました。幸いにして加療は進み、数値的には生命の危機的状況は脱し落ち着いている状況で、そろそろ救急病院から移動するタイミングとなりました。しかし、体重も目に見えて減り、かなり体力も落ちてしまっている感じで不安ではありましたが、昨日(4月10日)、日本医大北総病院より介護老人保健施設「お花茶屋ロイヤルケアセンター」に介護タクシーで無事戻ることができました。施設の方には「小川富二さん、お帰りなさい。」と温かく迎えていただくことができ、徐々に経口栄養も取れるようになれば、再び元気になってくれることを期待したいと思います。(4年前、母が絶望の淵から回復したことを思い出し、子供孫たちと共に祈っております。 <2023年4月11日、近況報告>
2023年4月11日
◆3月14日(火曜日)、父小川富二が意識障害・血圧低下症の異変により救急搬送され、千葉北総病院へ入院となってから約20日(3月30日リモート面会の様子です)。幸いにして加療は進み、数値的には生命の危機的状況はなく落ち着いている感じです。容態としては、食欲はなく、意識も多少戻ったとはいえ動きは少なく、寝ている時間が長くなり転落などの心配はないものの、動ける時はやっと効きての左手を上げる程度で、発語も少なくかつてのような元気のない状態が続いています。<2023年4月4日、近況報告>
2023年4月11日
◆3月初めまで、順調に日々暮らしている様子でしたが、3月14日(火曜日)介護施設より、父小川富二が意識障害・血圧低下症の異変により救急搬送されたとのこと。急遽、病院に駆けつけました。その後、幸いにして血圧は戻り、多少意識もはっきりしてまいりましたが、起き上がることはできず、そのまま、昨年緊急手術した病院に転送され、検査・加療が必要のため、入院となりました。<2023年3月22日、近況報告>
2023年3月22日
◆90歳を過ぎた父母とも、厳しい冬を乗り越えて、無事に3月を迎えられたことをうれしく思います。父小川富二は、年明けから.嚥下のリハビリをしながら口からの食事が少しづつできるようになってきたとのこと。昨年5月、心原性脳梗塞の緊急カテーテル手術から約9か月、リハビリ病院を経て11月からは介護老人施設へ、91歳にして奇跡的な回復力、持って生まれた生命力もさることながら、日本の医学・医療の進歩・病院・介護施設の皆さま方に感謝しております。最近時々発する言葉が「イリノイ、イリノイ」とのこと。父のやりたかったことはホームページを完成させて、著書の何冊かを電子書籍化することでした。小川富二の「イリノイ」と.いう言葉に込められた思いを大切にしたいと思っております。<2023年3月初め、近況報告>
2023年3月22日
◆その後早いもので7年以上たちました。昨年2022年5月、小川富二は重度の脳梗塞で倒れましたが、絶望の淵から現在少しづつ回復に向かっており、奇跡の復活も考えられます。本人は倒れる直前までもう1冊天声人語の翻訳本を書きたいと申しげておりました。その願いは叶いそうもありませんが、父に代わりホームページを更新し、33冊の著書のうち、何冊かを電子書籍化したいと思っております。
2023年2月15日
◆2015年5月に出版の法学書院『通訳ガイド英語完全対策・改訂第5版』には<英語こぼれ話>として、芥川龍之介が漱石の推薦で横須賀の帝国海軍機関学校で英語教官をつとめたこと、新婚旅行に水陸両用機で来日し霞ヶ浦に見事な着水をしたリンドバーグ夫妻を出迎えたのは、ハーバード大学に留学し日米開戦には大反対だった山本五十六のちの連合艦隊司令長官というエピソードも紹介しました。2015年5月の西イリノイ州立大学の卒業式には記念講演をということで、イリノイ州マッコームに30年ぶりの里帰りをしました。ミシシッピー川畔のマーク・トウェインの故郷ハニバル、モルモン教の大本山ナブー, 帰途はサンフランシスコ、サンタ・ロザのスヌーピー邸を訪ねて、カナダのバンクーバー経由で帰国しました。西イリノイ大学卒業式に出席、ボストン、ニューヨークに4泊して、帰国した。